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長野地方裁判所 昭和45年(行ウ)9号 判決

原告 櫻井初野

右訴訟代理人弁護士 鈴木紀男

右訴訟復代理人弁護士 水野幹男

被告 地方公務員災害補償基金長野県支部長 西沢権一郎

右訴訟代理人弁護士 宮澤増三郎

同 宮澤建治

主文

一、被告が昭和四四年三月一三日付で原告に対してした地方公務員災害補償法による公務外認定及び遺族年金を支給しない旨の処分を取り消す。

二、訴訟費用は、被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一、原告

主文同旨の判決を求める。

二、被告

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は、原告の負担とする。

との判決を求める。

第二当事者の主張

一、請求原因

1  原告の夫である訴外櫻井房雄(以下房雄という。)は、長野県職員で下水内地方事務所の財務課長として勤務していたところ、昭和四三年一月一九日午前九時ころ、同事務所内の自席において、突然意識不明となって倒れ、間もなく死亡したが、その死因は一応冠不全による狭心症と診断された。

2  房雄は、従前から心臓弁膜症(僧帽弁狭さく兼閉鎖不全)の既応症があったにもかかわらず、使用者である長野県の健康管理が不十分で、当時下水内地方事務所には所長が不在のため、房雄が所長代理を兼務しており、死亡前の職務は著しく過重、過激であり、過労となっていたところへ、死亡前日に国道一一七号線で発生した雪崩の災害調査のため、ジープに長時間乗車し、寒気の烈しい現地での調査を余儀なくされた結果、強度の精神的かつ肉体的な負担が重なり、これによって、心臓弁膜症を急速に悪化させ、急性心臓死を招いたものであるから、公務上死亡したものと言うべきである。

3  原告は、房雄の収入により生計を維持していた同人の妻であるから、被告に対し房雄が公務上死亡したものとして、昭和四四年一月二一日付で地方公務員災害補償法三一条により、遺族補償年金の給付を請求したところ、被告は同年三月一三日付で原告に対し、房雄の死亡につき公務外の認定をし、遺族補償年金を支給しない旨の処分(以下本件処分という。)をした。そこで原告は昭和四四年四月一八日付で審査の請求をしたところ、地方公務員災害補償基金長野県支部審査会は、同年八月二六日付で右審査請求を棄却する旨の裁決をしたので、更に再審査の請求をしたけれども、地方公務員災害補償基金審査会は、昭和四五年三月三一日付で、再審査の請求を棄却する旨の裁決をした。

4  けれども、房雄の死亡を公務外であるとした本件処分は、違法であるから、その取消を求める。

《以下事実省略》

理由

一、請求原因1、3項の事実及び房雄が心臓弁膜症にかかり、所長代理を兼務しており、死亡前日雪崩事故の調査のためジープに乗り現場に行ったことは、当事者間に争いがない。

二、まず、房雄の既存疾患につき、その発症から死亡に至るまでの経過について、検討する。《証拠省略》によると、次の事実を認めることができる。

1  房雄は、昭和三九年一二月ころから不整脈があることに気付き、昭和四〇年一月ころから夜間咳、起坐呼吸などの心臓ぜんそく症状が現れ、食欲不振、嘔吐、むくみ等がひどくなり、二、三の医療機関で診療をうけたのち、同年三月二三日浅間総合病院に入院したが、当時左心房が拡張し、うっ血性心不全の状態にあり、心房細動を伴う僧帽弁狭さく兼閉鎖不全との診断を受け、内科的治療をうけた結果、心房の拡張が大分縮少し、うっ血性心不全の症状も消失し、完全に正常ではないが、経過が良好なので、同年五月一日退院した。

2  房雄の退院当時の病状は、身体活動を軽度に制限されるもので、安静時には無症状ではあるが、通常の労作で疲労、動悸、息切れ、狭心痛がある程度のいわゆる軽度障害(ニューヨーク心臓協会の心臓機能分類第二度)に属するもので、担当の田代医師は房雄に対し、普通の事務労働なら良いが、過労は避けるよう注意を与え、引続きジギタリス剤維持量の連続服用を指示し、房雄の住所近くの松田医師にその処方を引継いだ。

3  房雄は、松田医師からジギタリス剤の維持量の投与を受けながら、当初は長野市に下宿して同市内にある長水地方事務所に通勤し、昭和四一年五月からは自宅から通勤していたが、心臓には格別の異常なく、昭和四二年四月飯山市にある下水内地方事務所の財務課長に補されたため、単身で赴任し執務していたが、既応症のあることはあまり他人に告げず、通常人のように行動していたものの、執務中唇の色は紫色で汗をよくかいていた。

4  房雄は、昭和四三年一月一九日午前八時三〇分ころ出勤し、事務室において、しばらく雑談したあと自席に戻り新聞を見ながらお茶を飲んでいたところ、午前九時ころ突然容体が急変し、咳を二、三回したあと椅子にもたれ、うめき声を発して僅か泡を吹き意識を失ったので、直ちに片塩医師の往診を受けたが、既に死亡しており、冠不全による狭心症と診断されたのみで、遺体の解剖はされなかった。

三、次に僧帽弁狭さく兼閉鎖不全症(以下僧帽弁膜症という。)の病理、予後及び房雄の死因について考察する。《証拠省略》によると、次の事実を認めることができる。

1  一般に、僧帽弁膜症の成因は、ほとんどリウマチ性のもので、僧帽弁が肥厚変形して狭くなるため、左心房から左心室ヘの血流量が減少し、閉鎖不全により左心室から左心房へ血液が逆流するため、血液が肺や心臓にうっ滞し勝ちとなり、心臓の大動脈への送血機能が低下することにより、うっ血性の心不全を併発する結果となり、ジギタリス剤の投与による内科的治療によっては、うっ血性心不全症状は改善されるものの、僧帽弁自体の病変は、手術をしないかぎり不可逆的で治癒することなく、自然的経過のうちに内科的治療は限界に達し、うっ血性の心不全の改善されない状態に至るものであり、又細菌性の心内膜炎、各種塞栓症、重篤な不整脈の出現といった致命的な合併症により死亡する危険性を有しているが、適切な治療と管理を受けていれば六〇才を超えて生存することも可能である。

2  僧帽弁膜症にかかった者は、内科的治療によって一応うっ血性心不全の症状が消退した場合においても、(一)食塩の摂取制限、(二)ジギタリス剤の維持量服用、(三)肥満の防止、(四)過激な肉体的動作の避止、(五)上気道感染の防止に留意し、右疾患の自然増悪を促す因子を極力さけなければならず、殊に右(一)、(二)を守らないときは、(四)、(五)の不遵守は加重的な増悪因子として作用するものであり、特に心房細動を伴う僧房弁膜症では心拍数の増加という心臓に対する負荷を起し易いので、前記(二)、(三)、(四)を守ることは、本症の自然増悪を抑えるうえで必須条件となる。

3  心房細動を伴う僧帽弁膜症を有する者が、急性心臓死を起す直接の原因としては、急性肺水腫、重篤な不整脈(心室細動・心停止)の突然の出現、心内血栓の剥離により発生する冠状動脈、肺動脈、腸間膜動脈、脳動脈の塞栓などが考えられるところ、急性肺水腫は呼吸困難を起すものであり、脳動脈の塞栓では急死をきたすことは稀であり、冠状動脈や肺動脈の塞栓によって急死することは考えられるが、その可能性は少なく、又うっ血性心不全時には重症の不整脈(心室細動)により突然死することが少なくない。

4  房雄の死因については、同人の病理解剖所見がなく、かつ同人の死亡前夜及死亡時の状況に不明の点が多く、これを確定することは非常に困難であって、片塩医師の診断による狭心症を死因とすることは医学的に疑問があり、結局僧帽弁膜症が何らかの原因によってうっ血性の心不全を併発し、重篤な不整脈(心室細動・心停止)の出現又は血栓による枢要な動脈の塞栓などに起因し、急性の心臓死を遂げたものと推測するほかはないが、浮腫や呼吸困難などのうっ血性心不全の症状があまり目立たない時期に急死を遂げていることからみて、血栓による各種塞栓症の発現というよりは、むしろ交感神経の緊張過多による心室細動、心停止という機序による公算が大きい。

四、原告は、房雄の僧帽弁膜症の悪化による死亡が職務の過重、過激による過労と死亡前における雪崩災害調査等における心身に対する負担に起因するものであって、房雄の死亡は公務に起因する旨主張するので、以下同人の死亡前における職務の執行状況について検討を加える。

《証拠省略》によると、次の各事実を認めることができる。

1  房雄は、昭和四二年五月飯山市にある下水内地方事務所に財務課長として赴任したが、その担当事務だけでもかなり多忙であったところ、同年一二月八日には同事務所の北村所長が眼病のため長野日赤病院に入院してからは、同所長の事務をも事実上代理するに至り、益々多忙となった。

2  房雄は、昭和四二年一一月三〇日から、その死亡直前の昭和四三年一月一八日までの間に、前後一六回にわたり、所掌事務打合せなどのため、公用車その他の交通機関を利用して出張し(そのうち六回は宿泊の伴う出張である。)、昭和四二年一二月二日五時間、同月四日二時間、同月一四日三時間、昭和四三年一月五日二時間、同月六日五時間、同月一一日三時間、同月一三日五時間、同月一七日三時間の各時間外勤務をしており、昭和四二年一二月二五日ころ風邪を引いて熱を出したが、同日一日間の休暇をとっただけで、風邪の治り切らないうちに出勤し、年末年始の休暇あけの昭和四三年一月四日には出勤し、同月一四、一五日の連休にも風邪を引いていたけれども丸子町の自宅に帰らないで妻子を呼び寄せて公舎ですごし、所長代理として雪害対策に備えていた。

3  房雄は、昭和四三年一月一八日国道一一七号栄村百合居橋付近で雪崩事故が発生したため、同日午前八時四〇分ころ気温零下三度の寒さの中を、背広に長靴という軽装で幌付きジープに乗り事故現場に向け出発したが、途中積雪のため路面に凸凹が多く、ジープが激しくゆれ、急停止などしつつ、片道二五キロメートルの行程を約三時間かかって往復し、午前一二時三〇分ころ帰庁したが、事故現場では車外に出て約三〇分間寒風にさらされながら、災害復旧状況を視察したこともあって、帰りの車内では疲れた様子で口数少なく、青い顔をしていた。

4  房雄は、前記雪崩事故視察から帰庁後、翌一九、二〇日の両日飯山市で行われ、同人が幹事で所長が副会長をしていた税務協議会主催の徴収事務研究会について、その当番庁に当っていたため、その準備打合会を主宰して午後四時三〇分ころまで行ったのち、午後五時過ぎころ疲労のため事務室ストーブのそばに椅子を並べてその上にぐったりとなって休み、午後五時三〇分退庁し、途中斉藤商店において夕食をとり、同店で「風邪を引いているので、ジープに乗って疲れた。所長が病気で休んでいるため、休むわけに行かない。」などと言ったりして公舎に帰り、翌朝同店で朝食をとったが、おかずに箸を付けた程度でご飯はたべずに出勤し、その日午前九時ころ突然死亡した。

五、以上の認定事実によると、房雄は、その死亡前の職務がかなり多忙であって、心臓疾患を有するためもあって、疲労が蓄積しており、殊に死亡直前の雪崩事故視察がその心身に大きな負担となって、同人の既存疾病である僧帽弁膜症に対し、悪影響を及ぼしたであろうことは、容易に推測できるところ、被告は、房雄の死因は、同人が日常生活において食塩の摂取制限、ジギタリス剤の服用、肥満の防止、上気道感染の避止などの養生方法を守らず、心臓疾患を増悪させた結果によるもので、公務に起因するものではないと主張するので、この点について検討を加える。

《証拠省略》によると、次の各事実を認めることができる。

1  房雄は、昭和四二年五月から飯山市に単身赴任し、土曜日には自宅に帰り月曜日には任地に赴くという生活を繰り返していたが、格別医師から食塩の制限をするような指示を受けておらず、自宅では老人がいたこともあって妻が比較的塩味のうすい食事を心掛けていたものの、任地ではもっぱら外食であって、朝晩は斉藤商店で殆んど一汁一菜の定食をとり、昼は事務所にある生協の食堂でラーメンなどを主として食べていた。

2  房雄は、松田医師から原告を介して、昭和四二年一二月二日、同月一六日、同月二二日及び昭和四三年一月一二日ころジギタリス剤各五日分(ジギトキシン〇・一ミリグラム入り一〇錠、実質一〇日分)の投与をうけ、一二月分については週末帰宅したとき受領し、一月分については同月一六日郵送により一八日ころ受領し服用していた。

3  房雄の死亡当時の体重は不明であるが、同人が浅間総合病院に入院した昭和四〇年三月二五日には六五キログラムであったところ、治療の結果同年四月一日には五九キログラムに減り、退院前である同月二五日には少し増え六二キログラムとなっており、昭和四二年七月一七日の職場における測定結果によると、身長一六六・一センチメートルに対し、体重は六七・五キログラムであった。

4  房雄は、風邪のため昭和四二年九月二〇日飯山市の足立医師の診療をうけ、同月二六日に治癒したほか、同年一二月下旬風邪のため発熱、咳などの症状があり、丸子町松田医師につき、同月二四日往診、同月二八日宅診、同月三〇日往診、昭和四三年一月七日宅診を受け、注射投薬の処置をうけたほか、同月一二日には原告を介して注射、投薬をうけており、前記一二月下旬に引いた風邪は、同人死亡当時にも治り切らないままであった。

六、以上の認定事実によると、房雄は、食塩の摂取制限が十分でなかった疑いが濃厚であり、ジギタリス剤も死亡直前二週間位は服用していなかった可能性が大きく、又死亡前六ヶ月位前の体重が標準体重に比較しかなり肥満傾向にあったから、死亡当時もこれに似た状態であったものと推測できないことはなく、かつ死亡前の約一ヶ月にわたり感冒様症状から抜け切れず、上気道感染を起していたことは明らかである。そこで、これら事実が房雄の心臓疾患に対し、どのような影響を及ぼしているかについて考察する。

1  まず、《証拠省略》によると、ジギタリス剤(ジギトキシン)は蓄積作用があるので、一、二週間位服用を中断しても薬効は持続することが認められるから、仮に房雄がジギタリス剤を二週間位服用しなかったとしても、心臓疾患の悪化に対して、それほどの影響を及ぼしたものとはいえない。

2  次に、《証拠省略》によると、房雄が昭和四二年九月一六日浅間総合病院において田代医師の診察をうけたときには、退院時よりは悪化しておらず、徐々にではあるが快方に向っており、又房雄が死亡前である昭和四三年一月七日松田医師の診察をうけたときにも、心臓には急死を予知するような所見はみあたらず、更に原告が同月一三日房雄の公舎を訪れ二泊したときにも、同人は風邪を引いて咳をしていたが、苦しそうな様子もなく、雪害対策など職務のことで緊張していたことが認められる。

3  右認定事実及び前示房雄の僧帽弁膜症の発症から死に至るまでの経過に照らすと、房雄は、浅間総合病院退院後も、身体的能力を比較的よく保持していたことが推測されるところから、予後はそれ程悪くなかったものと推定しうるのであるが、前示のとおり昭和四二年一二月から所長代理を兼ねるに至り、過労が激しくなるとともに寒気という季節的要因も重って風邪を引き、十分な休養をとらないまま公務に従事したために風邪を悪化させたことが推測されるのであって、昭和四二年一二月初旬までに房雄の心臓疾患に格別の異常が現われていないことから考えると、房雄が食塩制限をせず、肥満傾向にあったとしても、それが僧帽弁膜症を悪化させる原因になったものと推認することは困難であり、又房雄の上気道感染が長期化していたとしても、それは同人の公務に対する強い責任感から十分な休養もとらずに執務した結果に起因することを推測するに難くないから、公務起因性を否定する理由とはなしがたい。

4  以上により、被告の主張は直ちに採用できない。

七、そこで、房雄が雪崩事故視察により受けた影響について検討する。《証拠省略》によると、次に事実を認めることができる。

1  房雄は、雪崩事故視察のため、背広姿で寒風に吹きさらされたことにより、体熱を奪われ、交感神経を過度に刺激し、代謝を亢進し、更に感染を誘発し、心血管系に極めて悪い影響を与えたこと。

2  房雄がジープに乗り長時間走行による衝撃に耐えたことにより、同人の血圧は急激に上昇し、心筋の張力もそのため増大し、心筋酸素消費量が急速にたかまり、交感神経の過度の緊張が強いられ、心血管系に悪い影響を与え、心臓の状態を急速に悪化させたこと(雪崩事故視察の帰途、房雄の顔色が蒼白であったことが、何よりこの事実を物語るものであること。)。

3  房雄は、前示のとおり平常唇の色がわるく、汗をかき易かったが、唇の色のわるいのは、弁膜症による低心拍出量のためチアノーゼをきたしていたものと解されるし、汗をかき易かったのは、交感神経の亢進を表わすもので、心臓に対するストレスが過度になっていることが推測されること。

4  平常右のような状態にある房雄としては、心筋の張力が増大し、心筋の酸素消費量が増して慢性のアノキシア(酸素不足)の状態となることは、一方ではうっ血性心不全につながり、血液の凝固性をたかめ血栓形成の要因となるとともに、これに交感神経の緊張が加わると、心室心筋の興奮性をたかめ、心室細動を惹起する好個の条件を作り出したものと推測されること。

八、以上の認定事実によると、房雄は、その既存疾患たる僧帽弁膜症により心臓の機能がかなり劣っており、身体活動を軽度に制限されていたにもかかわらず、職場における人事及び健康管理が全く不十分であって、職務に対する責任感の強い房雄としては、心臓疾患を有する者として非常に過重かつ過激な公務の遂行を余儀なくされたため、その症状を極度に悪化させ、その死期を著しく早めたものと推測されるのであって、房雄の死亡について、公務が相対的に有力な役割を演じているものというべきである。

九、ところで、地方公務員災害補償法三一条にいう公務上の死亡には、公務の遂行と公務員の死亡との間に相当因果関係のあることすなわち公務起因性が要求されるところ、本件のように公務員が既存疾病を有する場合においても、公務の遂行によって既存疾病を急激に増悪させ、その死亡時期を著しく早めた場合には、その公務員がかかる結果の発生を予見しながら、あえて公務に従事するなどの特別の事情がないかぎり、これをもって公務上の死亡であるというべく、この場合通常の公務と比較して著しく過激ないし過重である必要はないと解すべきである。これを本件についてみるに、房雄がその死亡を予見しながらあえて本件公務に従事したという特別の事情も認められない以上、房雄の死亡は公務に起因するものと解するのが相当であり、これと異なる判断に基づく被告の本件処分は違法であって取消を免れない。

一〇、よって、原告の本訴請求は相当として認容すべく、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 安田実 裁判官 山下和明 松本哲泓)

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